カンタラ正面
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 14:15 UTC 版)
「10月14日の戦車戦」の記事における「カンタラ正面」の解説
カンタラ正面ではイスラエル軍の第162予備役機甲師団主力(3個機甲旅団)は13日から渡河準備のため平行道におり、主にエジプト軍と交戦した部隊は砲兵道上の稜線、コード名「ズラコール」にいたT-54/55戦車「Tiran-4/5Sh」を装備するヨエル・ゴネン大佐(シュムエル・ゴネン少将の弟)指揮の第274予備役機甲旅団(戦車75両)であった。 午前7時、エジプト空軍機が「ズラコール」南部の稜線、「ハブラガ」への砲撃、空爆を行い、稜線は砲火に包まれた。9時00分、第24戦車旅団が攻撃を開始、「ズラコール」北のマアディム道、「ズラコール」、「ハブラガ」への前進を開始した。第274予備役機甲旅団のほとんどの将兵にとってこれが初めての戦闘であり、経験が不足していた。そのためか第274予備役機甲旅団は旅団長車を含む15両の戦車が被弾、ゴネン大佐や2人の大隊長も負傷する(ゴネン大佐は指揮を執り続けた)という14日の戦闘に参加したイスラエル軍旅団のうち、最大の損害を被ったもののなんとか第24戦車旅団の攻撃を撃退した。 アダンはゴネン少将から第162予備役機甲師団を南部方面軍予備に回すよう要求されたが「ズラコール」での戦闘を放っておくわけにもいかないので、副師団長のドブ・タマリ准将に第274予備役機甲旅団、第460機甲旅団の指揮を任せて「ズラコール」での戦闘に当たらせ、アダン自身は第500予備役機甲旅団を率いてタサに向かった。ちょうどそのころ、午前9時30分、再び第24戦車旅団が再び攻撃してきたが、正午までには撃退された。第24戦車旅団の損害は戦車約40両であったが、随伴の歩兵部隊は進出地域を確保し日没までに掩体を整えた。
※この「カンタラ正面」の解説は、「10月14日の戦車戦」の解説の一部です。
「カンタラ正面」を含む「10月14日の戦車戦」の記事については、「10月14日の戦車戦」の概要を参照ください。
- カンタラ正面のページへのリンク