カタギンの起源とは? わかりやすく解説

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カタギンの起源

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 20:35 UTC 版)

カタギン」の記事における「カタギンの起源」の解説

元朝秘史』によると、ボルテ・チノ(蒼き狼)の子孫にドブン・メルゲンという人物がおり、その妻がアラン・ゴアであった。ドブン・メルゲンに先立たれた後、アラン・ゴアは光の精の子供を身ごもり、ブグゥ・カタギ、ブカトゥ・サルジ、ボドンチャルという三人の子供が生まれた。この3兄弟の子孫がそれぞれカタギン氏、サルジウト氏ボルジギン氏になったという。 後にモンゴル部ではボルジギン氏支配氏族となり、その一派キヤト・ボルジギン氏からチンギス・カン登場しモンゴル帝国建国した。しかしカタギン氏・サルジウト氏ボルジギン氏近しい一族であることはモンゴル帝国-大元ウルスでも強く意識されており、「国家(=帝室)と同源にして異流」、「[サルジウトの]祖先国家(=帝室)と同じ出自で臣族の中でも最も高貴」と表現されている。 12世紀モンゴル部の中でカタギン氏・サルジウト氏はかなり強力な氏族であり、『金史』には「合底忻部」「山只昆部」として登場する。『金史』によるとこの2つ部族北方強力な部族で、他の勢力属さずタタル部コンギラト部の間を往来し屡々金朝辺境侵攻したという。また金の承安3年(1198年)には、王族完顔宗浩が軍を率いて忒里葛山ベルグテイ(白古帯)率いカタギンクビライ(胡必剌)率いサルジウト連合軍破ったことが記録されている。 『金史』の記述などから当時カタギン氏・サルジウト氏遊牧地はフルンボイル地方東北方、ハイラル川アルグン川方面であった推測されている。アルグン川一帯モンゴル部の源住地であるが、ブルカン・カルドゥン本拠地とするボルジギン氏遊牧地より遠く離れており、この頃既にカタギン氏・サルジウト氏ボルジギン氏密接な関係を有していなかったと見られる

※この「カタギンの起源」の解説は、「カタギン」の解説の一部です。
「カタギンの起源」を含む「カタギン」の記事については、「カタギン」の概要を参照ください。

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