カスコとは? わかりやすく解説

カスコ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/01 02:40 UTC 版)

北アメリカ北東岸の襲撃 (1703年)」の記事における「カスコ」の解説

この間半島部のポートランド、スパーウィンクとパープードック(エリザベス岬)、ストラウンドウォーター(ウエストブルック)も含めたフォルマスでは、アベナキ族戦い続いていた。スパーウィンクとパープードック、フォルマスではあまり被害はなかったが、ジョルダン一家が主に住んでいたスパーニクでは、アベナキ同盟22人を捕囚した。パープードックにあるスプリングポイントには、入植者9家族住んでいたが、そのうち25人をアベナキ同盟殺し、8人を捕虜として連れ去ったアベナキ同盟の兵たちは撤退後半島のあたりを忍び歩き建物に火をつけて回った。ボーバサン指揮下の、総勢500人にもなるアベナキ族軍勢は、200隻のカヌーでカスコに到着し、4万人上の集落襲った。彼らはまずスループ船とシャロップ船を奪い多く物資略奪した。その成功に気をよくしたアベナキ同盟は、ウィリアム王戦争時にそうしたように、二日二晩にわたって、砦を海側から破壊しよう企てた8月19日ニューイングランド大尉のシプリアン・サウザックがのガレー船到着し包囲解いたが、アベナキ族はなおもカスコ周辺うろつき物売り船に乗り込んで船長と他3人を殺し2人を傷つけた。 ファルマスにあるカスコの36人の駐屯隊の、隊長はジョン・マーチだった。ジョン・マーチは1707年ポートロワイヤルの戦い指揮した9月26日マサチューセッツ総督ジョセフ・ダドリー360人の兵を、大規模なインディアン集落のひとつであるピグウォケットに向かわせた。この集落現在のメイン州フライズバーグにあったマーチ率いられ300人のニューイングランド兵は、アベナキ族をピグウォケットへと追いやり、マーチは、6人を殺して他に6人を捕虜とした。これは、この一連の戦いにおける、最初ニューイングランド側の報復だった。

※この「カスコ」の解説は、「北アメリカ北東岸の襲撃 (1703年)」の解説の一部です。
「カスコ」を含む「北アメリカ北東岸の襲撃 (1703年)」の記事については、「北アメリカ北東岸の襲撃 (1703年)」の概要を参照ください。

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