オードリー・ヘプバーンの起用
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「ローマの休日」の記事における「オードリー・ヘプバーンの起用」の解説
この作品で最初にヒロイン候補に挙がっていたのはエリザベス・テイラーであった。その後監督がフランク・キャプラからウィリアム・ワイラーに変わり、ヒロイン候補にはジーン・シモンズの名前が挙がった。しかしジーン・シモンズと専属契約をしているハワード・ヒューズが貸し出しを拒否した。グレゴリー・ペックも最初は出演を渋ったがワイラーが説得、出演を承諾した。しかし予算の問題もあり、大スターを2人使うことは問題外であった。インタビューでワイラーは「主役にグレゴリー・ペックを使えると決まって急に具体化しました。相手の王女役に大スターを使う必要がなくなったからです。そこで私は無名であっても王女の役にふさわしい娘さんを捜しにかかりました。」と答えている。 パラマウントの各海外拠点が何人か王女役を提案してきたが、シュザンヌ・クルーティエ (en:Suzanne Cloutier) とコレット・リペール (en:Colette Ripert) の2人が際立っていた。それとは別に1951年7月パラマウント社ロンドン支社のリチャード・ミーランド製作部長は「『ローマの休日』の新しい候補、オードリー・ヘプバーンを発見した。『素晴らしき遺産』で彼女が演じた小さな役に感銘を受けた。」とニューヨークの事務所にヘプバーンを推薦した。ロンドンに立ち寄ったワイラーはヘプバーンに会い「何か独特の個性を持っているという強い感銘を受け、早速カメラ・テストをすることにしました」と答えている。 当時、ヘプバーンは映画界では無名に近い存在であったが、その彼女をロンドンのパインウッド撮影所に呼んで1951年9月18日にスクリーン・テストを受けさせた。監督はヘプバーンの希望で『初恋』の監督だったソロルド・ディキンソン。他に俳優でライオネル・マートンとキャスリーン・ネズビットが出演した。ワイラーはありのままのヘプバーンを評価するために、ベッドから起き上がるシーンのテストが終わってもカメラを回して撮影しておくように指示した。テストが終わったと思い込み、笑顔で伸びをする自然なヘプバーンのフィルムを見たワイラーはヒロインに抜擢することを決めた。シュザンヌ・クルーティエもテストを受けたが、明らかにヘプバーンが最善の選択であった。 この時、パラマウント社ロンドン支社のミーランド製作部長はヘプバーンにキャサリン・ヘプバーンと混同されるので改名してはどうかと打診している。その時彼女は「私をお望みなら、名前も採用してください」と答えている。 グレゴリー・ペックも彼女の才能を認め、新人であるにもかかわらず自分と同等のクレジットを与えることをエージェントとスタジオに要求。ヘプバーンは映画のタイトルの前に主演としてグレゴリー・ペックと共に載った。 しかし、彼女にはそれ以前に声がかかってブロードウェイで上演される『ジジ』の主役に抜擢されており、この後9月末に船でニューヨークに向かった。『ジジ』は大好評で、パラマウントはオードリー・ヘプバーンを5月末で解放してくれるよう『ジジ』のプロデューサーに5万ドルを支払った。『ジジ』はチケット完売のままでおよそ6か月の公演が続き、5月末に終了した。『ローマの休日』の撮影に入ったのは主演に決まってから8か月後の1952年6月であった。
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