オブレゴン大統領
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 01:54 UTC 版)
「en:Ruby Murders」も参照 最終的な勝者となったオブレゴンは1920年6月大統領選に立候補し、当選する。この間、オブレゴンはビリャ派・サパタ派の残党と最終的な和平協定を結び、両派はついに武器を置く。だが、フランシスコ・ビリャは1923年7月23日、秘書と護衛をのせた車を自ら運転中、何者からか銃撃を受け射殺された。 ほぼ同じ頃、オブレゴンの後継大統領の座を巡って、彼の忠実な部下で、オブレゴンが正式に大統領に当選するまでの間臨時大統領を務めていたこともあるアドルフォ・デ・ラ・ウエルタ蔵相が反乱を起こした。一時はデ・ラ・ウエルタが優位に立ったが、最終的にはオブレゴンが勝利した。この反乱を最後に、メキシコ革命の戦乱は、以降クリステーロの反乱(後述)など若干の戦闘はあるがほぼ収束に向かう。 1924年、再選禁止により辞職し、カジェスが大統領に当選。 1928年、オブレゴンは大統領の絶対再選禁止を規定していた1917年憲法を強引に改正して、二度目の大統領選に立候補する。対立候補を次々と抹殺するというかつての独裁者ディアスとそっくりな手法で選挙に勝ったオブレゴンは、しかし正式に大統領に就任する直前にカトリック教徒に暗殺されてしまった。これと前後して、1927年から29年にかけて、断続的にカトリック教徒による反乱が続く(クリステロ戦争)。なお、その後メキシコ憲法は再び改正されて、大統領は絶対再選禁止となっており、従って以降大統領を二期務めた者はいない。
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