オハイオ と サマーズの捕獲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/02 08:19 UTC 版)
「エリー砦包囲戦」の記事における「オハイオ と サマーズの捕獲」の解説
イギリス軍が包囲線と砲台を構築している間に、ナイアガラ川に碇泊していたアメリカのスクーナー3艦が砲撃を掛けてきた。このとき、オンタリオ湖のイギリス海軍戦隊から派遣された小さな船3隻は、ナイアガラ川河口で、より大きなアメリカの艦船3隻に妨害されていた。イギリス艦を指揮していたアレクサンダー・ドブス海軍中佐とその水兵やイギリス海兵隊が、ギグ1隻とボート5隻をナイアガラ滝の下から陸路引き摺っていき、8月12日の夜にエリー砦沖にいたアメリカ軍スクーナーに乗り移り攻撃を掛けた。スクーナーの乗組員は人影を視認して誰何したが、イギリス兵が「食料運搬船」と答え、舷側にボートを寄せるまでアメリカ兵を欺き続けた。イギリス兵はオハイオ と サマーズを捕獲した。USSポーキュパインは碇綱を切って逃げ出したが、岸の砲台から敵と間違えて砲撃された。この戦闘で、イギリス軍は2人が戦死し、4名が負傷した。一方アメリカ軍は戦死1名、捕虜70名となり、そのうち8名は負傷した。このイギリス軍の勝利でイギリス軍の士気を挙げたが、ドラモンドはアメリカ軍の士気が同じくらい沈んだものと考えてしまった。アメリカ軍の脱走者からこの考えを吹き込まれたこともあった。その脱走者は砦の守備兵が1,500名に過ぎないと報告してもいたが、実際には2,200名いた。
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