エスペラント国家の提案
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 19:17 UTC 版)
1908年、モリー博士は、中立モレネをエスペラントを公用語とした国家とし、国名をアミケーヨ(Amikejo:友情の地)にしようと提案した。実現すれば世界初のエスペラント国家である。エスペラントによる国歌も提唱された。住人の中にはエスペラントを習得する人もあり、1908年8月13日、ケルミスで開かれた集会では「アミケーヨ」建国のアイデアが支持された。この年、ドレスデンで開かれていた世界エスペラント大会では、中立モレネを世界のエスペラント・コミュニティの首都とまで宣言した。 しかし、この小さな土地に残された時間は少なかった。プロイセン(ドイツ帝国の一部)もベルギーもこの土地に対する領有権の主張を取り下げなかった。とくに1900年前後のドイツは領土問題に関して積極的な姿勢を示していた。プロイセンは領土問題解決のためにサボタージュや行政プロセスの妨害といった手段をとり、しばしば非難の的となった。
※この「エスペラント国家の提案」の解説は、「モレネ」の解説の一部です。
「エスペラント国家の提案」を含む「モレネ」の記事については、「モレネ」の概要を参照ください。
- エスペラント国家の提案のページへのリンク