ウォール街への帰還
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 17:56 UTC 版)
「ジョン・J・マクロイ」の記事における「ウォール街への帰還」の解説
ドイツでの任務を終えた後、1953年から1960年までチェース・マンハッタン銀行(英語版)(1955年まではチェース・ナショナル銀行)の会長、1958年から1965年まではフォード財団の会長を務めた。また、1946年から1949年までと1953年から1958年まで、ロックフェラー財団の評議員を務めた。 1953年に最高裁判所長官フレデリック・ヴィンソンが亡くなった後、アイゼンハワー大統領は後任としてマクロイの起用を検討したが、マクロイは大企業に有利な立場にあるとみなされ、却下された。 1954年から1970年までは、外交問題評議会議長を務めた。その後任には、チェース銀行で密接に関わっていたデイヴィッド・ロックフェラーが任命された。マクロイはロックフェラー家との付き合いが長く、ハーバード時代にはロックフェラー兄弟にヨットの乗り方を教えていた。 また、1958年にアイゼンハワーが結成したドレイパー委員会の委員でもあった。 その後、ジョン・F・ケネディ、リンドン・ジョンソン、リチャード・ニクソン、ジミー・カーター、ロナルド・レーガンといった歴代大統領の顧問を務め、大統領軍縮委員会では主要な交渉者として活躍した。 1966年から1968年まで、パリに拠点を置くアトランティック国際問題研究所(英語版)の名誉会長を務めていた。 1967年末、リンドン・ジョンソン大統領は国連大使にマクロイの起用を検討し、ディーン・ラスク国務長官からこの件について打診されたが、マクロイはその申し出を断った。
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