ウィザード - ソロ
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「ロイ・ウッド」の記事における「ウィザード - ソロ」の解説
続いてソロ活動と並行する形で、1973年にウィザードというバンドを結成する。「I Wish It Could Be Christmas Everyday」などのヒット曲を生み出したが、このバンドもあまり長くは続かず、1975年に解散する。ウィザード時代のロイは、七色の長髪と奇抜なメイクで登場し、当時流行していたグラムロック・バンドの一つに数えられたりしていた。 ウィザード解散後、ロイはソロとして活動していく。ロイのソロ作品は、基本的に全ての楽曲を自作し、全ての楽器を自演し、更にアートワークまで自分で手がける(『ボールダーズ』ではジャケットも)という、ほぼ完全な「ソロ作品」である。初期の二枚の作品の完成度は非常に高く、現在もカルトな人気を保ち続けている。 しかし、ロイのソロ作品は、発売当時ほとんどまともな評価を受けることはなかった。その主な原因は、同じマネージメント(=レコード会社も同じ)の他のアーティストのレコードを売るために、ロイのソロ作品は完成後しばらくお蔵入りにされたり(『ボールダーズ』が一応完成したのは1969年から1970年頃と言われている)、レコード会社やマネージメントの満足なバックアップを得られず、レコード発売が告知されなかったり(『マスタード』発売時)、ライブがスケジュールできないなど、作品の力とは別のところで不運が続いたことが挙げられる。 ルネッサンスのボーカリストであるアニー・ハズラムと4年間婚約していたことがあり、ルネッサンスの楽曲「トリップ・トゥ・ザ・フェア」(1975年のアルバム『シェエラザード夜話』より)の歌詞は2人の初デートが元になっていて、1977年にはハズラムのソロ・アルバム『不思議の国のアニー』をプロデュースした。
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