インド国民軍(INA)の結成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 23:59 UTC 版)
「インド国民軍」の記事における「インド国民軍(INA)の結成」の解説
日本の参謀本部は1941年7月ごろから対英戦争の勃発を想定して、マレー半島における英印軍兵士工作に着手した。責任者として指名された藤原岩市は、タイのバンコクで極秘にインド独立運動を展開していたインド独立連盟のプリタム・シンに接触するとともに、F機関を結成した。 そして太平洋戦争の勃発とともに、F機関とインド独立連盟もマレー作戦に参加し、英印軍兵士に対する工作活動を展開。マレー半島西岸の街アロールスターで投降してきたモーハン・シン大尉に、投降してきたインド人兵の統括をゆだね、モーハン・シンはいったんは答えを保留したものの、日本軍とインド人兵を対等に扱うことなどを条件にこれを承諾。こうして日本軍はマレーやシンガポールで英軍と戦闘中に捕虜となった英印軍将兵の中から志願者を募って「インド国民軍」を編制した。この軍隊は「白人支配からアジアを解放するための組織」とされた。 さらに参謀本部は、インド国民軍の今後の展開についてインド独立運動家で日本に亡命していた印度独立連盟のラース・ビハーリー・ボースに意見を尋ね、1942年3月に、東京において印度独立連盟を含む在日インド独立運動家とインド独立連盟、インド国民軍(旧英印軍兵士)の代表が会議を行うこととなった(東京山王会議)。
※この「インド国民軍(INA)の結成」の解説は、「インド国民軍」の解説の一部です。
「インド国民軍(INA)の結成」を含む「インド国民軍」の記事については、「インド国民軍」の概要を参照ください。
- インド国民軍の結成のページへのリンク