イラク戦争による旧・イラク共和国の滅亡、新・イラク共和国の独立
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「イラクの歴史」の記事における「イラク戦争による旧・イラク共和国の滅亡、新・イラク共和国の独立」の解説
詳細は「イラク戦争」および「イラク戦争の年表」を参照 湾岸戦争の際にイラクが受諾した国連決議687により、イラクは大量破壊兵器の放棄を義務付けられた。これを確認するため、国連査察団が送られたが、イラクは査察に非協力的とされ、大量破壊兵器を保有しているとの疑いが持たれた。 2001年9月11日、アメリカで同時多発テロ事件が発生した。これをきっかけに、アメリカ政府は対テロ戦争を宣言し、まずはイスラム原理主義のターリバーンを排除するためにアフガニスタンに侵攻した。続いて、2003年3月19日、国連決議に反して大量破壊兵器を保有しているとの疑いで、アメリカとイギリスの連合軍はイラクに対しての開戦を宣言した(イラク戦争)。 圧倒的な軍事力を誇る米英連合軍はバグダードを含む主要都市を短期間で破壊・占領し、2003年5月1日に「戦争終結宣言」を発して形式的にはイラクへの攻撃を終了した。これによって旧イラク共和国は名実ともに滅亡し、独立国としてのイラクの歴史にも一旦終止符が打たれる。これ以降は名目上アメリカ国防総省人道復興支援室および連合国暫定当局(CPA)の統治下に入って復興が行われることになったが、実際には正式な編入・併合こそ行われなかったものの事実上アメリカ合衆国の海外領土に組み込まれる。2004年6月、イラク暫定政権が発足してアメリカ領時代に幕が下ろされ、新・イラク共和国として再独立を果たす。2005年1月に選挙が行われ、2005年4月にイラク移行政府が発足し、同年末までに憲法を制定した。憲法に基づく選挙が行われ、2006年5月に正式政府が発足した。しかし現在も尚、イラク国内は戦闘状態が続いている。
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