イラク戦争とバビロン州ヒッラの遺族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/07 14:48 UTC 版)
「藤原章生」の記事における「イラク戦争とバビロン州ヒッラの遺族」の解説
2003年3月31日、イラク戦争を始めた米政府をワシントンで取材していた折、米軍のクラスター爆弾で即死した乳児の遺体写真に衝撃を受け、同年9月にイラク入りした際、バビロン州の町ヒッラでその遺族を突き止めた。ロイター通信などの配信で世界中のメディアが大きく掲載した写真だったが、身元は不明なままで、遺族も藤原の訪問まで写真撮影の事実を知らなかった。乳児の名はヤコブで、兄姉5人も空襲から逃走中、同時に犠牲となり、重傷を負った父アブドゥル(当時47歳)と母アリアが生存していた。藤原は一連の事実を同年9月の毎日新聞連載「バビロンの“楽園”」などで報じた。
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