イタリア問題・英仏通商条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 15:10 UTC 版)
「ヘンリー・ジョン・テンプル (第3代パーマストン子爵)」の記事における「イタリア問題・英仏通商条約」の解説
1859年7月にフランス皇帝ナポレオン3世はサルデーニャ王国に独断でオーストリア帝国とヴィッラフランカの休戦協定を締結した。だがジュゼッペ・ガリバルディらイタリア民族主義者のナショナリズムを止めることはできず、ガリバルディ率いる義勇軍はイタリア半島の絶対君主制小国家群に次々と侵攻し、その領土をサルデーニャに献上していき、1861年2月にイギリス型立憲君主制国家イタリア王国が樹立されるに至った。 このガリバルディの独断の戦争を支援している国はパーマストン子爵率いるイギリスだけだった。イタリア統一阻止の立場に転じていたナポレオン3世がイギリスを恨んでいるという噂が広まってイギリスでにわかに反フランス感情が高まりを見せた。フランスとの開戦を求めてイギリス各地で義勇軍が結成されるほどだった。パーマストン子爵もそうした反仏感情を煽っていた。 イギリスで高まる反仏感情を憂慮したナポレオン3世はこれを和らげようと、国内の保護貿易主義者の反対を押し切って、イギリス蔵相グラッドストンが提唱した英仏通商条約(英語版)の締結に応じ、イギリス工業製品の関税を大幅削減した。この条約によりイギリスの対仏輸出は倍増した。
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