イギリス軍とインディアンの準備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/31 05:05 UTC 版)
「クロウフォード遠征」の記事における「イギリス軍とインディアンの準備」の解説
アービン将軍は遠征の計画を立てるときに、クロウフォードに「成功する最善の機会は、可能ならばサンダスキーに対して急襲を掛けることだ」と忠告していた。しかし、イギリス軍とインディアは、クロウフォード隊がミンゴボトムを出発する前からこの遠征隊について知っていた。捕虜にしたアメリカ兵からの情報によって、4月8日に悪名高いイギリスのエージェント、サイモン・ガーティがクロウフォード隊の計画を正確にデトロイトに報告させていた。 デトロイトのイギリス・インディアン部の役人はそれに従って行動の準備をした。デトロイトの指揮をしていたのはアレント・スカイラー・ドペイスター少佐であり、イギリス領北アメリカ総督のフレデリック・ハルディマンドの部下だった。ドペイスターはインディアンと密接な関係を維持していたガーティ、アレクサンダー・マッキーおよびマシュー・エリオットのようなエージェントを使って、オハイオ地方におけるイギリス軍とインディアンの軍事行動を調整していた。5月15日にデトロイトで開催された作戦会議で、ドペイスターとマッキーは集まったインディアン指導者達にサンダスキー遠征隊のことを告げ、彼らに「大部隊を作って彼らを撃退する準備をするよう」忠告した。マッキーはグレートマイアミ川バレーのショーニー族集落に派遣され、アメリカ侵略軍を撃退するための戦士を募集することになった。ウィリアム・コールドウェル大尉がバトラーズ・レンジャーズの騎馬中隊とともにサンダスキーに派遣され、またデトロイト地域の多くのインディアンがマシュー・エリオットに率いられて出発した。 インディアンの斥候が当初から偵察を続けていた。クロウフォード隊がオハイオ地方に入るやいなや、警告がサンダスキーに送られた。クロウフォード隊が接近してくると、ワイアンドット族とデラウェア族集落の婦女子は近くの谷に隠され、イギリス人毛皮交易業者はその商品をまとめて町から大急ぎで出て行った。6月4日、キャプテン・パイプが指導するデラウェア族と「副王」ダンカットが指導するワイアンドット族はミンゴ族の幾らかの者とともに、アメリカ軍に対抗する部隊を結成した。その勢力は200ないし500名と推計されている。イギリス軍の援軍が近くにいたが、南からのショーニー族は翌日まで到着できないことが予測された。クロウフォード隊の斥候隊が現れたとき、パイプのデラウェア族が彼らを追撃したが、ワイアンドット族は一時的に後退した。
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