アンティータムの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/02 17:09 UTC 版)
「アンブローズ・バーンサイド」の記事における「アンティータムの戦い」の解説
メリーランド方面作戦の開始となったサウス山の戦いでは、ポトマック軍の「右翼」(第1軍団と第9軍団)の指揮を与えられたが、アンティータムの戦いでは、マクレランがこれを分けてそれぞれ北軍の両端に配置したので、バーンサイドはまた第9軍団のみの指揮官に戻った。バーンサイドは暗に高い権威を諦めることを拒み、先ずジェシー・リー・リノ少将を(サウスマウンテンで戦死)、次にジェイコブ・D・コックス准将を軍団指揮官として待遇し、命令は軍団長を通して軍団に伝えた。この煩わしい手配のために、北軍前線の南側側面にあって「バーンサイドの橋」と今も呼ばれる橋の攻撃やそれを渡るときに動きが鈍くなってしまった。 バーンサイドはその地域の適切な偵察を行わず、その部隊は敵の射程に入らない所で容易に川を渉れる利点を活かす代わりに、高台に陣取る南軍の狙撃手に支配されている狭い橋を渡って何度も突撃することを強いられた。正午までに、マクレランは辛抱できなくなった。マクレランは何度もバーンサイドに前進する気持ちにさせるよう伝令を送った。ある副官には「彼に犠牲が1万人になっても今行かねばならない」と伝えるよう命令した。監察長官デロス・B・サケット大佐を派遣して、バーンサイドに対決させることで圧力を掛けていったが、バーンサイドは憤然として「マクレランは、私がこの橋を落とすために最善を尽くしていないと考えているようだ。あなたは今朝同じ命令を持って私の所にきた3人目あるいは4人目だ」と答えた。この攻撃の遅れによって、南軍のA・P・ヒル少将の師団がハーパーズ・フェリーから駆け付け、北軍の突破に対して反撃することを許した。マクレランはバーンサイドの援軍要請を拒み、戦いは戦術的行き詰まりのままに終わった。
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