アレーテイア・ウーシア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:40 UTC 版)
「マルティン・ハイデッガー」の記事における「アレーテイア・ウーシア」の解説
存在者が開示されうる(コンテクストにおいて有意味にであれ、不安の経験において無意味にであれ)という事実は、いずれにせよ存在者は開示されうるという先行する事実に基づいている。ハイデッガーはそうした存在者の開示を「真理・真実」と呼んだが、これは正しさというよりは「隠れのなさ」と定義される。この「存在者の真実」(存在者による自己発見)は、より本源的な種類の真実を含む。すなわち「存在者の存在が隠されていない、明るみに出された存在者の発露」である。これはギリシア語でαληθεια(アレーテイア、非覆蔵性)と呼ばれ、アリストテレスやヘラクレイトスからハイデッガーによって引き出された概念である。ハイデッガーはアレーテイア研究によって真理を、「存在者の示現すべてがそこへ属するところの非覆蔵性」として考察するようになった。アレーテイアの動詞型αληθεύειν(アレーテウエイン、真理化する)の意味はハイデッガーによれば「露呈しつつあること(aufdeckendsein)」「閉ざされてあることや隠されてあることから世界を取り出すこと」と解釈される。 また古代ギリシア人はアレーテイアをοὐσία(ウーシア、現前性)として解釈しており、ウーシアが現在という時間的性格を持つことから、時間と存在の関係についてハイデッガーは考察するようになり、こうした考察が『存在と時間』の骨格となった。ハイデッガーは1925/26年の講義「論理学:真性への問い」でギリシア人が存在をウーシアとして規定していたが、彼らは存在を時間から理解していなかったとも批判した。 ハイデッガーにとって、現存在を規定するのはこの存在の隠れなさである。ハイデッガーの用語「現存在」とは、おのれの存在を関心事とする存在者であり、また、おのれの存在をそのように開示させる存在者である。ハイデッガーが存在の意味についての探求を現存在の本質についての探求とともに始めたのはこうしたわけである。存在の隠れなさは基本的に現世的かつ歴史的な、非計測的な時のうちでの現象である。われわれが過去・現在・未来と呼ぶものは本来この隠れなさの見地に照応するものであり、時計によって測定される均一的な数値化された時間における排他的な三区域のことではない。 またハイデッガーはアリストテレスにおけるロゴス(λόγος)を、アレーテウエイン(真理化する)の遂行という観点から、明示すること、それ自身から見させること、あらわにすることと解説した。
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