アルバート・ヴィクター王子(クラレンス・アヴォンデイル公爵)
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詳細は「アルバート・ヴィクター (クラレンス公)」を参照 クラレンス及びアヴォンデイル公アルバート・ヴィクター王子(Prince Albert Victor, Duke of Clarence and Avondale、1864年1月8日 - 1892年1月14日)は、ヴィクトリア女王の孫でエドワード7世の長男(死亡時王位継承順位第2位)。彼が切り裂きジャックの可能性として活字に初めて登場したのは、1962年に出版されたフィリップ・ジュリアンによるエドワード7世の伝記であり、ジュリアンはヴィクターが殺人に関与しているとされる噂に言及していた。この噂の日付や出所の詳細は書かれていなかったが、トーマス・E・A・ストーウェル博士から間接的にもたらされた可能性があるとされている。1960年、ストーウェルはこの噂を作家のコリン・ウィルソンに話し、ウィルソンは伝記作家のハロルド・ニコルソンに話した。ニコルソンは、ジュリアンの伝記において「これまでに公表されていない逸話」の情報源で、それなりに信頼性が高いとされた人物であり、彼がジュリアンにストーウェルの説を教えたと思われる。この説が世間で大きく注目されたのは、1970年に『The Criminologist』誌に掲載されたストーウェルの論文であり、彼はヴィクターが梅毒で乱心し、後に殺人を犯したのではないか、と推測した。ただし、ヴィクターには強力なアリバイがあり、また彼が梅毒を患っていた可能性も低く、この説は広く否定された。ストーウェルは自説を撤回したが、既に高齢であったため論文発表の数日後に自然死し、彼の説の妥当性の検証は妨げられた。同じ週にストーウェルの息子が父の書類は焼却したと明かし、「重要なものは何もないことを十分に読んで確認した」と述べた。
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