アルチュ・ボラトとは? わかりやすく解説

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アルチュ・ボラト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 06:49 UTC 版)

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アルチュ・ボラトモンゴル語: Алчболд中国語: 阿爾楚博羅特1490年 - ?[1])とは、モンゴルハーンであるバト・モンケ(ダヤン・ハーン)の息子の一人。エル=ボーラ(El buγuraとも表記され、漢文史料においては「納力不剌台吉」と記されている[2]。5オトク・ハルハを分封され、「内ハルハ五部」の始祖となった。

概要

ダヤン・ハーンとその正妻マンドフイ・ハトンの間の息子として生まれた。ダヤン・ハーンの六男と見られ、『蒙古源流』ではオチル・ボラトと双子で生まれたとも記される[3]。『蒙古源流』によるとオチル・ボラトとアルチュ・ボラトが生まれそうな頃、オイラトの襲撃があったが、フンギラトのエセレイ大夫、ハチンのジフイ・ダルハン、バルガチンのバヤン・ボケ、アストのバト・ボラトの助けによって無事逃れ、双子を産むことができたという[4]

子孫

  • フルハチ・タイジ(虎剌哈台吉) - アルチュ・ボラトの長男
  • ハサル・ノヤン - アルチュ・ボラトの次男

脚注

  1. ^ 『蒙古源流』の記載に拠る(岡田2004,239頁)
  2. ^ 吉田1998,232頁
  3. ^ モンゴル語史料の記述に従えば、マンドフイ・ハトンは3組もしくは4組の双子を続けて出産したことになるため、双子で生まれたというのは疑問視されている(森川1988,2頁)
  4. ^ 岡田2004,225頁

参考文献

  • 岡田英弘訳注『蒙古源流』刀水書房、2004年
  • 吉田順一『アルタン・ハーン伝訳注』風間書房、1998年



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