アメリカ植民地への日本人の移民について
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「アルバート・シドニー・アシュミード・ジュニア」の記事における「アメリカ植民地への日本人の移民について」の解説
アシュミードは1899年「我々に対する日本のハンセン病の危険」を書いたが、この中で村田昇清の中外医事新報の論文「日本におけるらい病患者措置を論ずる」を引用している。 アシュミードのハンセン病観はダミアン神父のハンセン病の感染、発病ということもあったが、彼はアメリカ現地人に感染することを恐れ日本人移民を国際法でもって規制すべきであるとしている。日本において、1899年から内地雑居となり、日本政府の無策が欧米からの批判がおこった。アシュミードの主張は日本から国外にハンセン病を蔓延することの危険性をみている。日本が旧弊な仏教国のハンセン病を示す典型例であり、第1回ベルリン国際らい会議が開かれた背景には、隔離政策と、政府の援助が必要であるというアシュミードの主張がある。
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