アメリカ植民地の独立過程
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/14 06:12 UTC 版)
「フェルナンド7世治世下のスペイン」の記事における「アメリカ植民地の独立過程」の解説
進歩的・自由主義的な新思想は、ヨーロッパでは厳しく弾圧されたが、アメリカの隅々まで伝播した。ラテンアメリカのスペイン植民地のブルジョワジーはイギリス領の脱植民地化を例にとって独立に積極的であり、ただそのきっかけを欠いていたが、ホセ1世の権威と正統性の欠如が南米独立戦争を正当化するきっかけとなった。クリオーリョ(ラテンアメリカ生まれのスペイン人)は大きな経済力を持っていたが、ペニンスラール(本国生まれのスペイン人)に比べて政治的・法的領域で差別を受けており、人口の大半を占めるクリオーリョの不満が反乱の根本的な要因であった。 1810年、ブエノスアイレスで政権がフンタの手に落ちた(五月革命)。1811年7月5日、ベネズエラが独立を宣言した。パラグアイも独立を宣言し、メキシコは独立革命の最中にあった。 サン・マルティンとボリバルは数々の局面でスペイン軍を撃退した。1814年から1823年にかけて、コロンビア、チリ、メキシコその他すべての中米諸国で独立宣言が相次いだ。ペルー独立戦争におけるアヤクーチョの戦い(英語版)でスペインの大陸支配の終わりは決定的となった。
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