アッカドと古アッシリア
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「新アッシリア帝国の軍事史」の記事における「アッカドと古アッシリア」の解説
伝説によれば、メソポタミアで、とある庭師がカゴの中に入っている赤子を発見した。それが、後にアッカド帝国の最初の統治者となるサルゴンになったという。やがて彼はアガデの街を建設すると、5400人の兵からなる軍を興し、今日のイラクの大部分を征服した。彼の碑文では、34の勝利と5400人の男がサルゴンを前にパンを食べたことを誇っており、膨大な兵力を集めることやその兵士たちからの服従(そしてもしかすると 常備軍の創設も)の実例となっている。サルゴンの軍は後の王たちのものに比べると小さなものだったが、当時の他国よりも大規模で、かつ、槍と飛び道具を組み合わせて用いるなど洗練されたものだった。その帝国を切り拓くに当たっては、いかなる抵抗も青銅の剣と四輪戦車であしらった。帝国は、(少なくとも一時的には)地中海沿岸地域の一部とアナトリア、イランの西部をも支配した。都市の包囲戦は問題にならなかった。なぜなら、サルゴンの時代の都市の城壁は泥でできていたからである。サルゴンはその碑文の中で、それらの城壁を破壊したことを誇らしげに書いている。 古アッシリアの一番最初の王Tudiyaはエブラのイブリウムと同時代だった。古アッシリアは紀元前3000年紀の後期、アッカド帝国の時代から発展し始めた。イルシュマ王(紀元前1945~1906年)の統治の下、アッシリアは強国となった。イルシュマ王は小アジアに植民地を建設したほか、南メソポタミア地方にあるイシンや他のシュメール・アッカド国家を攻撃した。
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