アジサイロードの歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/18 02:02 UTC 版)
街道沿いのアジサイ群は植樹により生まれたもので、関市に吸収合併される以前の板取村からの取り組みにより現在に至る。この取り組みは、旧・板取村をあげて岐阜県のフラワーロード事業の一環として1976年に始められたもので、「梅雨のうっとうしい時期に花を見て心を豊かにしよう」と当時の村長により発案された。同村では、「拓こう花の輪基金条例」を制定し、美しい景観保全と環境整備を促進するため、この条例に基づきフラワーロードづくりが進められた。植樹として「アジサイ」が選ばれたのは、梅雨に花が咲く、挿し木によって増やすのが容易、冬の寒さに強いなどの条件によるものである。村内では街道沿いだけでなく村全体の景観整備を進めるために、地元の老人クラブや役場の職員などによって年間約4千本のペースで植樹を進めていて最終的には100万本を目標にしている。優れた環境のもと、多くの人々に親しまれた美しい景観を持つ道路として、1986年(昭和61年)8月10日の道の日に、旧建設省と「道の日」実行委員会により制定された、「日本の道100選」の一つに選定されている。
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