アジア新興国競技大会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 00:18 UTC 版)
「新興国競技大会」の記事における「アジア新興国競技大会」の解説
1965年に入り、インドネシア国内での反共主義的なスハルトの台頭(9月30日事件の発生)に伴いインドネシアと中華人民共和国の蜜月は消えるも、中華人民共和国は新興国競技大会の存続を図り、北京を本部に「アジア新興国競技大会」に改め、1967年にエジプトのカイロで開催が計画されていた第2回大会は1966年11月25日から12月6日までカンボジアのプノンペンで親中派のノロドム・シハヌーク国王が代わって開催することになった。参加国は前回の51カ国から、中華人民共和国、カンボジア、モンゴル、セイロン、日本、インドネシア、イラク、ラオス、北朝鮮、レバノン、パキスタン、パレスチナ、ネパール、シンガポール、シリア、北ベトナム、 イエメンの17カ国まで減った。 順国・地域金銀銅計1 中国 108 57 34 199 2 朝鮮民主主義人民共和国 30 42 32 104 3 カンボジア 10 42 10 62 4 日本 10 12 8 30 5 Total
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