アサド政権の崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/22 15:51 UTC 版)
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| シリア内戦における2024年シリア反政府勢力の攻勢と中東危機中 | |
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| 日付 | 2024年12月8日 |
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| 場所 | シリア |
| 主催者 | シリア反体制派 |
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アサド政権の崩壊(アサドせいけんのほうかい、アラビア語: سقوط نظام الأسد)は、2024年12月8日に長年独裁体制を敷いていたシリアのバッシャール・アル=アサド大統領がシリアの反体制派の攻撃を受け、国外に亡命し、アサド大統領率いるバアス党政権が崩壊した一連の動向を指す。
背景
独裁の開始
シリアの独裁体制は1970年、バッシャール・アル=アサド大統領の父であるハーフィズ・アル=アサドが権力を掌握した頃に始まり、その翌年である1971年にハーフィズが大統領に就任すると、本格的に独裁体制を固めた[3]。
その後、約30年にわたり強権的な政治を続けたハーフィズが2000年に死去すると、その息子であるバッシャール・アル=アサドが大統領に就任した[4][5]。
バッシャール・アル=アサド政権下
シリア内戦まで
後継者指名を受けるまで眼科医師としてイギリスに留学していた経験もあるバッシャールは就任当初、父ハーフィズとは異なり、腐敗撲滅や政治の民主化にも取り組むなど、比較的穏健な統治を行ってきたが、2011年のアラブの春の影響を受けた市民などが反政府デモを起こすと武力弾圧を開始するなど、次第にデモなどへの対応がエスカレートしていった[4]。
シリア内戦
しかし、弾圧がエスカレートしていくとデモや反乱がシリア全体に広がり、シリア軍と反体制派の戦闘が開始された[6]。
ロシアやイランなどがシリア政府を支援したのに対し、トルコやカタールは反体制派、アメリカはロジャヴァを支援するなど、容易に決着がつかない内戦となり、膠着状態となった[6]。
政権の崩壊
この膠着状態は2024年11月末に突如として打開された。打開された理由として、ユーフラテス川東岸の油田地帯をシリア民主軍に押さえられていた事による外貨獲得手段の制限と復興の遅れ、トルコ軍との紛争やイスラエル軍の空爆によるシリア軍の弱体化、シリアを積極的に支援していたイランとヒズボラが2023年パレスチナ・イスラエル戦争、ロシアがウクライナ戦争と、それぞれ自国の戦争に注力した結果、シリアへの支援を縮小した事などが理由に挙げられている[5]。それらの複合的影響でアサド政権が相対的に弱体化したため、反体制派に短期間でアレッポやダマスカスを占領されたと考えられる[5][7]。
イスラエルは「武器が過激派の手に渡るのを阻止するため」として、ゴラン高原における緩衝地帯への進駐のほか、アサド政権崩壊からの1週間でシリア全土の軍事施設に対して350回以上の空爆を実施している[8]。これに対し、国際連合は「市民を危険にさらし、秩序ある政権移行の見通しを損なうものだ」と非難し、直ちにやめるように求めている[9]。
亡命
首都のダマスカスが占領されたことを受け、「アサド一家はロシアのモスクワに亡命した」とロシア外務省が報じた。 アサドは12月8日日曜日にダマスカスから飛行機で逃亡したが、ごく一部の人間以外には脱出の予定を伝えておらず、周囲には「ロシアから軍事支援が来る」「明日になれば分かる」と嘘を吹き込んでいたと元側近たちは証言している(ただし、シリア駐留ロシア軍の主力は空軍と海軍で、陸上戦力は両基地の警備要員や軍事顧問などに限られていたため、アサドの側近がどこまで「ロシア軍による支援」の言を本気で信じていたかは不明である)[10]。
脚注
- ^ “Moscow claims Assad fled as mystery plane leaves Russian air base in Syria”. The Jerusalem Post (2024年12月8日). 2024年12月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月8日閲覧。
- ^ “"The Authority" controls Aleppo International Airport and many cities and towns in the northern Hama countryside amid a complete collapse of the regime forces” (Arabic). SOHR. (2024年11月30日) 2024年11月30日閲覧。
- ^ “シリア内戦とは?原因と終わらない理由や現在の難民の生活をわかりやすく解説 - Spaceship Earth(スペースシップ・アース)|SDGs・ESGの取り組み事例から私たちにできる情報をすべての人に提供するメディア”. spaceshipearth.jp (2024年11月15日). 2024年12月9日閲覧。
- ^ a b “MSN”. www.msn.com. 2024年12月9日閲覧。
- ^ a b c 日本放送協会 (2024年12月9日). “アサド政権崩壊なぜ?シリアでいったい何が? | NHK | WEB特集”. NHKニュース. 2024年12月9日閲覧。
- ^ a b “MSN”. www.msn.com. 2024年12月9日閲覧。
- ^ “シリア反体制派、ダマスカス占領「アサド政権追放」宣言(ハンギョレ新聞)”. Yahoo!ニュース. 2024年12月9日閲覧。
- ^ Mallory Moench. “イスラエル軍、シリアとの間に位置するヘルモン山での冬季駐留準備へ”. BBC. pp. 2024-12-14 2024年12月17日閲覧。
- ^ 日本放送協会 (2024年12月18日). “国連の安保理でシリア情勢を報告 人道支援強化に協力呼びかけ | NHK”. NHKニュース. 2024年12月18日閲覧。
- ^ “Assad's final hours in Syria: Deception, despair and flight(Reuters)” (英語). Reuters. 2024年12月14日閲覧。
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