アクイレイアの遺跡地域
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「アクイレイアの遺跡地域と総大司教座聖堂のバシリカ」の記事における「アクイレイアの遺跡地域」の解説
「アクイレイア」を参照 アクイレイアの町は、紀元前181年に建設された古代ローマの植民都市に起源を持つ。当時はアドリア海が現在よりも内陸に入り込んでおり、この都市は海のほとりに位置していた。帝政期の1世紀から4世紀にかけて、アクイレイアは交易都市として繁栄し、最盛期には10万人を超える人口を擁して世界有数の都市と謳われた。しかし5世紀以降、西ゴート族やフン族などの侵攻を受けてたびたび破壊され、再建のたびに都市は規模を縮小していった。 古代都市アクイレイアの遺跡は、何世紀にもわたって「採石場」として使われ、石材は持ち去られた。このため地上には古代ローマ時代の建造物は一つも残っていない。発掘により一筋の街路と、市壁の北西部が発見された。市内の国立考古学博物館には、2000点以上の碑文、像、その他地元で生産されたガラスなどの遺物や、貨幣などが収蔵されている。発掘調査はまだ終わっておらず、その全貌は明らかではないが、古代ローマ最大の都市ではないかとされている。
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