アエルレドの証言 (1160年頃)
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「ニニアン」の記事における「アエルレドの証言 (1160年頃)」の解説
聖ニニアンの生涯(en:Vita Sancti Niniani)中の奇跡に関する物語はさておき、アエルレド(en:Aelred of Rievaulx)は聖ニニアンに言及する付随情報を含んでいる。すなわち、彼の父はキリスト教徒の王だった、彼はローマで司教に任命された、彼は聖マルティヌスに会った、聖マルティヌスはニニアンの要望を受けて彼の帰途にあわせ石工たちを送り、石工たちは海辺に位置する石の教会を建てて、聖マルティヌスの死を知ったニニアンは教会を彼に捧げた、当時豊かで力のあった "王トゥドゥヴァラス" (King Tuduvallus)を彼は教化した、ピクト人たちの教化と帰郷の後に彼は亡くなり、石棺に収められて彼の教会の祭壇の近くに埋葬された、彼は一度 "プレビア" (Plebia)という名の彼の兄弟と共に旅したことがあった、といったものである。 アエルレドは、ベーダによるニニアンについての情報の発見に加えて、"未開の言語" (barbarous language)で書かれた出典による更なる追加情報を彼の「聖ニニアンの生涯」に盛り込んだ、と言っている。しかしながら、この原典についての情報は一切ない。アエルレドはスコットランドの宮廷で10年間を過ごした後に聖ニニアンの生涯を書き、ガロウェイとスコットランドの聖人のこのような熱烈な描出の写本を望んでいるであろうスコットランド王家およびガロウェイのファーガス(en:Fergus of Galloway、ガロウェイ司教区(Bishopric of Galloway)を復活させた)の両者との親密な関係を持った。彼の業績は、おそらく政治的に野心的な聴衆のためを意図しており、トーマス・ヘファーナン(Thomas Heffernan)が "神聖な伝記" (sacred biography)として言及するものである。
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