アイネイアースのためにヴィーナスに武器を授けるウルカヌス (ブーシェ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/01 13:03 UTC 版)
| フランス語: Vulcain présentant à Vénus des armes pour Énée 英語: Vulcan Presenting Venus with Arms for Aeneas |
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| 作者 | フランソワ・ブーシェ |
|---|---|
| 製作年 | 1757年 |
| 種類 | キャンバスに油彩 |
| 寸法 | 320 cm × 320 cm (130 in × 130 in) |
| 所蔵 | ルーヴル美術館、パリ |
『アイネイアースのためにヴィーナスに武器を授けるウルカヌス』(アイネイアースのためにヴィーナスにぶきをさずけるウルカヌス、仏: Vulcain présentant à Vénus des armes pour Énée、英: Vulcan Presenting Venus with Arms for Aeneas)、または『ウルカヌスの鍛冶場』(ウルカヌスのかじば、仏: Les Forges de Vulcain)は、18世紀フランス・ロココ期の画家フランソワ・ブーシェが1757年にキャンバス上に油彩で制作した絵画である[1]。国王ルイ15世のための「神々の愛」を主題としたタピストリー用下絵4連作のうちの1点として制作された(ほかの作品は、シャルル=アンドレ・ヴァン・ロー、ジャン=バティスト=マリー・ピエール、ジャゼフ=マリー・ヴィアンが制作した)[1][2]。ウェルギリウスの叙事詩『アエネーイス』 (第8巻) から採られた場面に、家庭的でありながら筋骨たくましいウルカヌスを表している。彼は、天上的なヴィーナスに彼女の息子アイネイアースのために鍛造した武器を捧げている。この神話的主題は、ブーシェの生涯の画業の中で何度も取り上げられたものである。本作は、上記4連作中でほかの作品より、とりわけピエールとヴィアンに比べ評価は低かった。現在、パリのルーヴル美術館に所蔵されている[1]。
制作
ブーシェは、1755年に名高いゴブラン織製作所 (フランス王室用にタピストリーを制作する工場) の検閲官に任命された後に本作を描いた。ブーシェはこの製作所と競合するボーヴェ (Beauvais) のためにもタピストリー下絵を描いていたが、1755年にゴブラン織製作所はブーシェを専属として雇うことができたのである。11月に、芸術大臣であったアベル=フランソワ・ポワソン・ド・ヴァンディエールは、コンピエーニュにあったルイ15世の邸宅用に7枚の新しいタピストリーを織ることを提唱したが、それは却下された。とはいえ、その計画は、ブーシェが1756年に制作した本作のための油彩スケッチにインスピレーションを与えた可能性がある[2]。
1757年5月に、ルイ15世は、「神々の愛」を主題とする4枚からなるタピストリーの委嘱を認可した。上述のように、それらのタピストリー用下絵は、当時の著名な画家であったブーシェ、シャルル=アンドレ・ヴァン・ロー、ジャン=バティスト=マリー・ピエール、ジャゼフ=マリー・ヴィアンに割り当てられた。8月の終わりまでに、サロン・ド・パリで実物大のタピストリー用下絵が展示されることになっていたが、ブーシェは早く制作を始めたにもかかわらず、作品の提出が遅れてしまった。展示の後に、4点の下絵はゴブラン織製作所に送られた。1758年に、画画たちは新たに縦長のタピストリー用下絵を描くことになったが、この時ブーシェが描いた『愛の標的』は現在、ルーヴル美術館に所蔵されている[2]。
評価
ブーシェとヴァン・ローが制作した下絵は、ヴィアンとピエールの下絵ほど好評ではなかったようである。結果として、ゴブラン織製作所は、ヴィアンとピエールの下絵をブーシェの下絵よりも多く買うことになった。この不人気の原因はわかっていないが、ブーシェの構図が統一された意匠に欠けているためではないかと推測する研究者もいる[2]。
しかしながら、マリニーは本作を気に入ったようで、本作用の油彩スケッチを自身で所有した。ブーシェはたいてい自身のタピストリー用スケッチを所有していたので、このことは注目すべきことである。唯一のほかの例外は、ブーシェの友人がシノワズリ (中国趣味)・タピストリー用のスケッチを所有したことである[2]。
主題と解釈
本作は、『アエネーイス』 (第8巻) の場面を取り上げている。ヴィーナスが、以前、夫のウルカヌスを誘惑して息子のアイネイアースのために鍛造させた聖なる武器を受け取るために戻った場面である。元来、作品は「ウルカヌスの鍛冶場のヴィーナス」、または「レムノスの鍛冶場」という題名をサロンで付されていたが、現在では一般に「アイネイアースのために武器を要請するヴィーナス」と呼ばれる。しかし、ヴィーナスは武器を要請しておらず、武器を受け取るべくやってきているため、その題名は正しくない。『アエネーイス』は場面を詳細に記述していないので、ブーシェは画面にバラの花をまき散らすキューピッドや神々を加え、自由に創造している。ヴィーナスの膝上にいるバラの冠を着けたニンフの象徴的意味は不明である。しかし、ニンフがキューピッドの矢を持っていることは、ヴィーナスが自分の命令に従わせるために夫のウルカヌスに用いた愛の力を象徴する[2]。
細部
ウルカヌスの鍛冶場におけるヴィーナスの主題は、ブーシェの生涯の画業において繰り返し取り上げられた。彼は、この主題が提供する女性像を取り囲むキューピッドに加え、筋骨たくましい男性像や神話的要素を描く芸術的機会を好んだのである。かくして、彼の弟子であったヨハン・クリスティアン・フォン・マンリッヒが、1765年に庇護者であったプファルツ=ツヴァイブリュッケン公クリスティアン4世から委嘱を受けた時、ブーシェは「息子のアイネイアースのために武器を頼むべくウルカヌスのもとにやってくるヴィーナス」の主題を提案したのであった。ブーシェによるマンリッヒの作品に対する批評は、彼が女性像を描く際の方法とインスピレーションを明らかにしている。ブーシェは、マンリッヒの女性像は身体が細すぎるか、男性的すぎるように見えると述べている。そして、理想的な女性美を表現するためには繊細で丸みを帯びた形態が必要で、ブーシェのモデルたちの中で、そのような形態を持っていたのは彼の妻だけであると主張した。マンリッヒの作品の構図、とりわけ明らかにバロック的にヴィーナスを雲の上に配置することにはブーシェが関与したが、それはクリスティアン4世の不満を買うことになった。このことは、ブーシェの芸術的決定が彼の晩年に一般的な人々の新たな芸術的嗜好と次第に対立するようになったことを示している[2]。
脚注
外部リンク
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