アイスキュロス『ペルシア人』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/22 09:05 UTC 版)
「キュアクサレス2世 (メディア最後の王)」の記事における「アイスキュロス『ペルシア人』」の解説
アイスキュロスの悲劇『ペルシア人』は紀元前472年に書かれており、ダレイオス・ヒュスタスペス(522–486 BC)とその子クセルクセス(486–465)と同時代の作である。アイスキュロスはマラトンとサラミスの戦いでペルシア人と戦っている。演劇『ペルシア人』はクセノフォンとヘロドトスの両者に先立つ作品であり、この二つの情報源どちらからも独立な情報となっている。この作品はサラミスの戦い(486 BC)で敗れるペルシア軍を劇的に描いている。作中のダレイオス1世の幽霊が語るところでは、キュロス王に先立つ、メディア=ペルシア連合の二人のメディアの王について語られている。 メディア人が軍の第一の指導者であった。そしてもう一人、その指導者の子が、この仕事を完成させた。彼の心が情熱を注いだのである。そして彼から三代目が幸いな人キュロスであった。キュロスが統治したとき、彼の下の全ての者について平和が確立された。 ヘロドトスの『歴史』に基づくと、キュロスに先立つ二人のメディアの王とはキュアクサレス1世とアステュアゲスのことと解釈される。しかしまたヘロドトスによれば、キュアクサレス1世はメド=ペルシア連合を確立しておらず、アステュアゲスは「この仕事を完成させた」とは言えない。むしろヘロドトスによればアステュアゲスはキュロスに対して戦争を始めたのちその王座を失っている。アイスキュロスの、メディアとペルシアの基本的な歴史に関するヘロドトスとの矛盾は際立っている。
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