わび・さびと「やつし」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/01 23:59 UTC 版)
日本では古来から、中国など大陸的な趣向を日本的なものに変化させてきた。外来文化を「やつす」ことは日本の文化の根源的な方法と言える。 茶道では、鎌倉時代に中国渡来の唐物を飾り立てて品評する書院茶事が行われていたが、村田珠光は書院茶の要素を省略し、和物中心の庶民的な数寄屋の茶事を融合したわび茶を編み出した。熊倉功夫は、わび茶の精神は「唐物荘厳の世界」の「もどき」と「やつし」にあると述べている。 俳諧は和歌や連歌を簡略化した、やつしの文学と言える。わびを志向する蕉風俳諧では、茶道と同様の意識的なみすぼらしさや、隠者的な暮らしぶりなどをテーマとした。また、寛文期には歌舞伎のやつし芸の流行を受け、和漢の古典を下敷きにして当世の風俗を詠む趣向も見られる。
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