茂別館跡とは? わかりやすく解説

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茂別館跡

名称: 茂別館跡
ふりがな もべつたてあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 北海道
市区町村 上磯郡上磯町
管理団体
指定年月日 1982.07.03(昭和57.07.03)
指定基準 史2
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S53-06-005[[茂別館跡]もべつやかたあと].txt: 「新羅之記録」等によれば、茂別館は、嘉吉3年(1443)、津軽十三湊城主安東太郎盛季が南部氏敗れて蝦夷島渡った時、館を造ったのに始まり享徳3年(1454)、安東政季南部氏追われ蝦夷島渡り康正2年(1456)、出羽国に去るまでここに居し、のち、その弟と考えられる下国安東八郎家政箱館河野政通援けられて、この館を守護したという。長禄元年(1457)5月東部の〓(*1)長コシャマインが大蜂起し和人の諸豪が拠っていた志濃里館・箱館はじめとする道南の諸館は相次いで攻め陥されたが、茂別館上之国花沢館の2館だけが辛ろうじて残ったという。その後下国安東)氏は福山松前)藩に属し、茂別の付近有して代々藩で重きをなした。
 茂別館は、茂辺地川左岸の丘地の南端位置し、南の大館、北の小館とから成っている。西は茂辺地川岸の崖地で、南と北は自然の沢で限られ大館の東は掘り切られて空豪となり、小館の東は沢となっている。大館小館は自然の沢で画される大館小館とも北・東・南の三方土塁めぐらしており、また、各館内にも仕切状土塁認められるが、大館のそれは後世改変にかかるもののようである。
 道内室町時代和人の館のうち、志苔館上之国勝山館跡上之国花沢館・大館は、史跡指定されているが、今回これに茂別館加え蝦夷島中世史解明資さんとするものである
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史跡:  若松城跡  若桜鬼ヶ城跡  若狭国分寺跡  茂別館跡  茅原大墓古墳  茅野遺跡  茶すり山古墳



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