曼殊院宮良尚法親王
江戸初期の親王。曼殊院門跡二十九世。八条宮智仁親王の第二王子。のち後水尾天皇の猶子となる。俗名は勝行、幼称は二宮、号は天松院。天台座主・二品に叙せられ、のち潅頂を受け、大阿闍梨となる。曼殊院の移転・整備に尽力し、同院の中興開山とされる。水墨画・書道・詩文・茶花を能くした。元禄6年(1693)薨去、72才。
曼殊院宮覚恕法親王
室町後期の親王。曼殊院門跡。後奈良天皇第二皇子。通称は曼殊院宮・竹内殿等。曼殊院に入り得度、門跡を継ぐ。准三后、第百六十六代天台座主となる。和歌・連歌・尊鎮流の書も能くした。著書に『覚恕百首』がある。天正2年(1574)薨去、54才。
曼殊院慈運法親王
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