どれも口美し晩夏のジャズ一団
作 者 |
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季 語 |
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季 節 |
夏 |
出 典 |
蜿蜿 |
前 書 |
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評 言 |
私がこの句に出会ってから既に四十数年以上経っている。 私は当時、都内の牛乳販売店に住み込みで働いていた。ある日パチンコで大負けした帰りに入った書店でたまたま手にしたのが金子兜太著『今日の俳句』(一九六五年「カッパ・ブックス」刊)という本であった。 その中の「ドラム罐も俳句になる」という章があり、この句があった。そこには砂浜でスポーツカーに跨ったり、ダンスに打ち興じたりする青年達の写真があり、その写真に添えて掲句が書き込まれていた。(二〇〇二年光文社「知恵の森文庫」復刻版でも同じ写真が使われている) 私は、まずこの俳句と写真の雰囲気があまりにもぴたりと一致していることに感心した(確かに写真はこの俳句に合わせて演出したのかもしれないが)。またジャズ一団と言うには少しチンピラ風ではあるが、この青年集団のややもすると悪ふざけ的なはしゃぎようがいかにも「晩夏」の風情を醸し出していると思ったものである。そして何といっても写真中の一人の青年が抱いているマネキン人形。そのツンと反りかえった唇と鼻先。これこそがまさに「どれも口美し」そのものやうに思えたのであった。私はこの句を映像として記憶した。 当時の私は学生運動に破れて牛乳販売店に潜り込んでいたのだが、実家に帰ろうかそれとも東京に残ってどこか就職の口でも探そうか迷っていた。そういう意味で私の「青春」も終わろうとしていたのかも知れない。そんな私にとってこの句の「晩夏」は胸を掻きむしるような切なさで迫ってきたのである。 |
評 者 |
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備 考 |
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