だんぶり長者埋蔵宝伝説
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「だんぶり長者」の記事における「だんぶり長者埋蔵宝伝説」の解説
伝説の元になった長者は実在したという意見もあり、岩手県八幡平市田山には長者屋敷の礎石が残っていたという。この地方で多く産した漆や砂金を基に長者になったのだろうとする説もあり、砂金を取る際の粘土質の土が川を白く染めたのだろうとも言われている。 だんぶり長者が亡くなる前に、広大な屋敷あるいは近くのどこかに莫大な金銀財宝を埋めて今もあるという伝説がかなり根強く伝えられ残っている。全部で12説ばかりあり、それを裏付けるように、一部の砂金または金の延板、黄金の瓶子のかけらを発見したという人もいる。明治から昭和初期にかけて、数百人の人々が来て掘って一攫千金を夢見たが、まだこれぞと思うのを掘り当てた者がいないと言う。高瀬博の『尾去沢鉱山伝説 だんぶり長者埋宝秘伝』では、それらの埋宝伝説が5つばかり記録されている。畠山清行の『埋蔵金物語』でもいくつかの埋宝伝説が語られている。 黄金の牛を埋めたと伝えられるのは根石地区で、牛が臥している形の黄金を埋めたので、根石と言われる。これと同じ形の石が今でも屋号で「長者」と言われる家の上方にある。黄金の人形は長者前集落の大日社の近くの天皇林の山頂に埋めたとされる。この他、黄金の財宝は天狗森、四角岳、稲庭岳、ホーラン平天台寺の土ふまずの丘、目名市、土沢地区内に埋められていたとされ、目名市の羽沢家、土沢の北口家は財宝守りではないかと言われている。瀬ノ沢集落の西側(東側?)の黄金沢にも埋められていて、黄金沢の入り口に集落の人が焼屋屋敷(やけやしき)と呼んでいた武家屋敷があったとされる。この家が代々財宝守りをしていたが、火災にあって家族もろとも焼死したと伝えられる。また、矢神岳の山頂付近に30aほどの平坦地がある。この土地を地元の人はジャト屋敷、ザト屋敷と呼んでいた。ここに住んでいた人が財宝守りではないかと言われている。屋敷の近くに大人7人ほどが上がれる大きな石があり、へび石と呼ばれ周囲の石と材料が異なるため、どこからか運ばれて来たとされ、財宝の目印ではないかと伝えられている。
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