だんぶり長者埋蔵宝伝説とは? わかりやすく解説

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だんぶり長者埋蔵宝伝説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 15:41 UTC 版)

だんぶり長者」の記事における「だんぶり長者埋蔵宝伝説」の解説

伝説元になった長者実在したという意見もあり、岩手県八幡平市田山には長者屋敷礎石残っていたという。この地方多く産した漆や砂金を基に長者になったのだろうとする説もあり、砂金を取る際の粘土質の土が川を白く染めたのだろうとも言われている。 だんぶり長者亡くなる前に広大な屋敷あるいは近くのどこかに莫大な金銀財宝埋めて今もあるという伝説がかなり根強く伝えられ残っている。全部12説ばかりあり、それを裏付けるように、一部砂金または金の延板黄金瓶子のかけらを発見したという人もいる。明治から昭和初期にかけて、数百人の人々来て掘って一攫千金夢見たが、まだこれぞと思うのを掘り当てた者がいないと言う高瀬博の『尾去沢鉱山伝説 だんぶり長者埋宝秘伝』では、それらの埋宝伝説が5つばかり記録されている。畠山清行の『埋蔵金物語』でもいくつかの宝伝説が語られている。 黄金の牛を埋めた伝えられるのは根石地区で、牛が臥している形の黄金埋めたので、根石と言われる。これと同じ形の石が今でも屋号で「長者と言われるの上方にある。黄金人形長者前集落大日社の近く天皇山頂埋めたとされるこの他黄金財宝天狗森四角岳稲庭岳、ホーラン平天台寺土ふまずの丘、目名市土沢地区内に埋められていたとされ、目名市羽沢家、土沢北口家財宝守りではないかと言われている。瀬ノ沢集落西側東側?)の黄金沢にも埋められていて、黄金沢の入り口集落の人が焼屋屋敷(やけやしき)と呼んでいた武家屋敷があったとされる。この家が代々財宝守りをしていたが、火災にあって家族もろとも焼死した伝えられるまた、矢神岳山頂付近に30aほどの平坦地がある。この土地地元の人はジャト屋敷、ザト屋敷呼んでいた。ここに住んでいた人が財宝守りではないかと言われている。屋敷近く大人7人ほどが上がれ大きな石があり、へび石と呼ばれ周囲の石と材料異なるため、どこからか運ばれて来たとされ、財宝目印ではないか伝えられている。

※この「だんぶり長者埋蔵宝伝説」の解説は、「だんぶり長者」の解説の一部です。
「だんぶり長者埋蔵宝伝説」を含む「だんぶり長者」の記事については、「だんぶり長者」の概要を参照ください。

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