ささのつゆとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 言葉 > 表現 > > ささのつゆの意味・解説 

ささのつゆ【笹の露】

読み方:ささのつゆ

地歌・箏曲(そうきょく)。手事物(てごともの)。島田両三の詞に菊岡検校が曲をつけて、文化・文政(1804〜1830)ごろ成立。それに八重崎検校が箏の手をつけた。酒の徳をたたえる曲。別名「酒」。


笹露(ささのつゆ)

室町時代後期より、刀の切れ味良さを示すためその旨を刻すことが行われるようになり、截断能力刻されたものを截断銘呼んでいる。また、具体的な截断能力を特に示さず、その切れ味世の中事象例え刻したものもままみられ、それらの号銘は刀の通称として広く知られるようになった。笹露の号も、鞘を抜き払えば間をおかず相手切って落とされるという鋭い切れ味を、笹の葉付いた露は払えばすぐに落ちることになぞらえたもの。この号が付けられた刀には、監物所持銘のある孫六兼元の他、池田輝政家臣八田豊後守の佩刀郷義弘があり、新刀期には柳生連也斎所持の秦光代脇差等が知られている。

さゝのつゆ

(ささのつゆ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 01:02 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

さゝのつゆ(ささのつゆ)は、『甲子夜話』に逸話が記載される刀。石田三成佩刀。後に三成捕縛の実行者だった田中吉忠(田中伝左衛門)の手に渡った。

概要

明応文亀(1492年 - 1504年)ごろに活躍した備後貝三原正真によって作られた刀とされている。「備後国三原住貝正真」と銘を切る[注釈 1]

「笹の露」とは、笹の葉にある露は払えば瞬時に落ちるがごとく、その刀で切り払えば胴が瞬時に落ちることを称えた表現で、この号を持つ刀は多く、福永酔剣は9振の「笹の露」を記録している[1]

松浦静山平戸藩主松浦清)『甲子夜話』巻之九十一に逸話が記載されるのもその一振りである[1]。ある時、静山が家臣から聞くには、田中伝左衛門という武士を解雇したのだが、その時に家中に置いていった「さゝのつゆ」という刀は所持者が転々として、今は川崎某が所持しているという[2]。松浦静山はこの刀とその逸話に相当な興味を抱いたらしく、詳細な寸法図を載せ、他の資料と突き合わせ検証を行っている[2](その図は2018年現在、三原派の公式サイトで閲覧することができる [3])。

すなわち、関ヶ原の戦いの折、田中吉政が率いる実働部隊が、石田三成が川辺の葦中に隠れているのを発見した[2]。田中吉政が率いる従士二人(『関原記大全』によれば野村伝左衛門と沢田少左衛門等)が奮戦したので、ついに三成は捕らえられた[2]。 このとき三成が所持していた刀が徳川家に渡り、さらに徳川家康から吉政に褒美として与えられ、それをさらに吉政が伝左衛門に与えた[2]。この伝左衛門と見られる人物が天祥院(松浦重信)の代に平戸藩に士官した時は、田中伊織を名乗っていた[2]。田中伝左衛門が「さゝのつゆ」の号と自分の名前の銘を入れたのもこの前後であろう。

また、解雇された田中伝左衛門の先代の時、若党が不埒を働いたが、主が不在なので田中の妻自らが「さゝのつゆ」を抜いて若党を手討ちにしたところ、全く手応えがなかった[2]。 若党は好機とばかりに門から逃走したが塀にぶつかり、その瞬間、胴体が袈裟懸けに裂けた[2]。斬味が余りにも凄まじすぎて、切った側も切られた側も気付かなかったのである[2]

田中家ではこの刀は京信国の作と伝わっていたのだが、現所持者(川崎某)が本阿弥家に鑑定を頼むと、信国ではなく貝三原正真の作であるとし、10枚の評価を付けた[2]。 参考として、最上大業物である三原正家の一振りで、伊達重村徳川家重から拝領した刀は、本阿弥家から金20枚の評価をつけられている [4]

『石卵余史』には、石田三成が名誉ある死である切腹を田中伝左衛門に乞い願ったが、伝左衛門は功を挙げるためにそれを無視して捕縛している[2]。 この時、三成は伝左衛門を士道に背くと罵り、必ず冥罰が下るであろうと予言している[2]。 田中伝左衛門家は代を重ねるごとに浮き沈み激しく、静山の代ではついに浪人の身になってしまうほどに零落したのは石田三成の怨みであろうか、と静山は評している[2]

作風

「さゝのつゆ」は、刃長二尺一寸七分(約65.8cm)、表銘「田中伊織佐吉忠」、裏銘「さゝのつゆ」となっていて、「田中伊織佐」「さゝの」が金象嵌、「吉忠」「つゆ」が銀象嵌である[2]。 出来栄えは所持者から静山が聞いた言に曰く、「刀直焼ニテニエ少クニホヒ勝ノ出キナリ 地鉄至テコマカニシテ金強ニ見ユ」[5]と。

脚注

注釈

  1. ^ 「[正真〈○六人△二人〉] ○金房隼人佐――或ハ二字銘に切和州南都住天文比正実同人と云 ○勢州桑名住千子――或ハ二字銘に切平安城長吉此地へ来りて両作あり文亀比 ○藤原――と切三州田原住本国和州南都金房一派にして三河文殊と唱ふ本多家十方切の作人〈或ハ蜻蛉切トモ〉天文比 ○相州住――と切大永比 ○備前直宗流二字銘に切嘉元比 ○備後国三原住貝――と切明応文亀比 △和州南都住藤原――と切金房新次郎と号慶長比 △武州住源――と切時代不明」(山田 1900, 巻三、五十二丁オ(国文学研究資料館のシステムでは159コマ/全400コマ))。

出典

[脚注の使い方]
  1. ^ a b 福永 1993, 2巻, pp. 314-315.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 松浦 1978, pp. 201-205.
  3. ^ 三原正家公式サイト. “さゝのつゆ”. 2018年8月29日閲覧。
  4. ^ 三原正家公式サイト. “国の重要美術品 伊達家伝来 刀 金象嵌銘 正家”. 2018年8月29日閲覧。
  5. ^ 三原正家公式サイト. “松浦静山の甲子夜話”. 2018年8月29日閲覧。

参考文献

関連項目

  • 日向正宗 - 正宗作の短刀。同じく三成がかつて所持しており、三井記念美術館に所蔵されている。
  • 石田正宗 - 相州正宗作の打刀。三成が結城秀康に贈ったとされる。



ささのつゆと同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ささのつゆ」の関連用語

1
笹の露 デジタル大辞泉
76% |||||

ささのつゆのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ささのつゆのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
銀座長州屋銀座長州屋
Copyright (c)1998-2025 Ginza Choshuya Co.Ltd. All rights reserved
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのさゝのつゆ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS