こうちじょうあととは? わかりやすく解説

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高知城跡

名称: 高知城跡
ふりがな こうちじょうあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 高知県
市区町村 高知市丸ノ内
管理団体 高知県(昭40・4・3)
指定年月日 1959.06.18(昭和34.06.18)
指定基準 史2
特別指定年月日
追加指定年月日 平成19.07.26
解説文: 慶長5年山内一豊土佐国に封ぜられ、翌6年1月掛川城から浦戸城移ったが、大高坂山の地を選んで築城することとなり、9月鍬初行い、同8年8月入城した。城の成ったのは子忠義のとき、同16年頃と思われる
大高坂山は、南に鏡川が、北に江ノ口川それぞれ東流する間に挾まれ平地中に屹立する独立丘陵であって南北朝時代には大高坂松王丸が、降って天正年間には長曽我部氏もここに拠ったことがあり、要地であったことがうかがわれる
高所本丸とし、その北に通路兼ねた空堀隔てて稍々低く2の丸を配し、2の丸の東に一段低く3の丸を置く。本丸、2の丸の西から北をめぐり、3の丸の東にわたって獅の段や帯郭状等の平地連ねている。城壁はすべて石垣をもって固められ大手口南東麓に東に向って開き搦手口は西麓位する。堀は山裾めぐって北方江ノ口川の邊に達していたが、いま追手門から南麓居館跡めぐってその面影とどめている。
規模必ずしも雄大称すべきものではないが、その郭、通路等の配置巧みで、要を得就中詰門を構えた本丸、2の丸間の通路設計はひろく賞讃されているところである。
もとより変改のあともあるが、縄張略々全容をとどめ、天守始め本丸書院、詰門、追手門等建物多く近世城郭遺構として、学術上貴重である。
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