『Third/Sister Lovers』
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「ビッグ・スター」の記事における「『Third/Sister Lovers』」の解説
『Radio City』リリースから8か月後の1974年9月、チルトンとスティーヴンスは3枚目のアルバムに取り組むべくアーデントスタジオに戻った:150-160。彼らはプロデューサーのジム・ディッキンソンほか様々な人達の支援(チルトンの恋人までボーカルに参加した)を受け、1975年初頭に収録セッションとミキシングが完了すると、無地のレーベルでアルバム250枚が宣伝用にプレスされた:161-165。 フライとディッキンソンが宣伝用コピーを持ってニューヨークに飛び、多数のレコード会社と打ち合わせをしたが、誰もこのアルバムに関心を持ってくれなかった:161-165。同じくカリフォルニアでも宣伝活動が失敗したことで、このアルバムはリリースしても商業的に駄目だと見なされてお蔵入りとなった:161-165。1974年後半、アルバムの題名さえ付けられずにバンドは解散し、ビッグ・スター第一期が終わりを迎えた:161-165。 ベルは1972年にバンドを辞めて以降、ソロ活動を展開するため幾つかの国で歳月を過ごした:161-165。1978年にメンフィスに戻った後、イギリスで初となるビッグ・スターのアルバムが2冊同時にリリースされ、ファンからの熱狂的な批評と関心を集めた:205-207。その後すぐにビッグスターの認知度が高まり、完売の4年後にサードアルバムが米国と英国の両方でリリースされた:205-207。これまで無題だった『Third/Sister Lovers』は幾つかの非公式な名称(ThirdやBeale Street GreenやSister Loversなど):148:234で知られていた。 『Third/Sister Lovers』のリリース後まもなく、ベルは自動車事故で死亡した。カーブの縁石にぶつかって街灯の柱に激突したもので、事故原因はベルの居眠り運転または不注意だったと考えられている:211。
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