『信重解状』について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 12:55 UTC 版)
「タケミナカタ」の記事における「『信重解状』について」の解説
『信重解状』においては、諏訪明神が神宝を携えて天から守屋山に降ったとされている。これとニニギ(天孫降臨)やニギハヤヒの天降り神話との類似点が指摘されている。真澄の鏡(銅鏡)・八栄の鈴・唐鞍・轡を持参して降臨する諏訪明神が、諏訪に横穴石室古墳文化と飼馬技術を持ってきた人々の姿と重なるという見解もある(ただし、現存する上社の神宝のほとんどが奈良・平安時代のものである)。 『画詞』よりも100年以上前に成立していたことから、『信重解状』に書かれている内容は鎌倉中期以前の諏訪上社の在り方や伝承を知る手掛かりになる重要な史料と評価された。しかし、提出先が「御奉行所」になっていること(宝治年間以前に「御奉行所」を宛先とする訴状はない)、箇条書きで祭祀の由来を詳しく説明していること(これは鎌倉時代の訴状にしては不自然)、またはほぼ同時期に書かれた『広疑瑞決集』(建長8年・1256年)には見られない、つまり時代にしてはかなり進んでいる殺生功徳論(殺生は成仏の方便という理論、詳細は後述)が出てくることなどという不可解な点が多いため、『信重解状』を後世の偽作とする見解もある。
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