『レオノーレ』序曲第3番の扱いについて
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「フィデリオ」の記事における「『レオノーレ』序曲第3番の扱いについて」の解説
グスタフ・マーラーは1904年に『フィデリオ』を指揮した際、第2幕第2場への間奏曲として『レオノーレ』序曲第3番を演奏し、賛否両論を巻き起こした。反対派の意見としては「表現力が壮大すぎて、終幕の力を弱めてしまう」といったものが多かった。一方で、演出面からすれば、第2幕の第1場と第2場では場面が明らかに違うので、場面転換のためにも必要という意見も多かった。もっとも、マーラー存命時から死後しばらく、この方法は定着しなかった。 この習慣が定着しだしたのは1930年代になってからである。マーラーのやり方に賛同したヴィルヘルム・フルトヴェングラーは次のように述べている。 たった1箇所『レオノーレ』序曲第3番が演奏されるのに相応しい場所がある。それはまた、マーラーによって打ち出されたウィーンの伝統に従うことにもなるのだが、それは第2幕の長い「牢獄の場」が終わったところである。この箇所に『レオノーレ』序曲を置くならば、それは『神々の黄昏』でジークフリートの死に続く「葬送行進曲」が占めるのと同じような意義を獲得するであろう。序曲は過去への追憶となり讃美となるのである。 ("Ton und Wort, Aufsätze und Vorträge, 1918 bis 1954"より、日本語訳は『音と言葉』ISBN 978-4102024010で読むことができる) 今日でもマーラーのやり方で上演する指揮者もいる。ただし、この場面でこの序曲を使用すると、救出の場面を繰り返してしまうことになり、話の流れが乱れてしまうという意見も多い。最近では、上演で『レオノーレ』序曲第3番を演奏しない指揮者も多い。模範的な上演のウィーン国立歌劇場では、現在でも普通は『レオノーレ』序曲第3番を入れている。
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