『モンゴル人の歴史』とは? わかりやすく解説

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『モンゴル人の歴史』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/09 00:14 UTC 版)

プラノ・カルピニ」の記事における「『モンゴル人の歴史』」の解説

正確な題名は、『われらがタルタル人と呼びたるところのモンゴル人歴史』(Historia Mongalorum quos nos Tartaros appellamus)で、カルピニローマ教皇庁提出した報告書当時モンゴル帝国風習国民性をはじめ、軍事政治制度など詳細なモンゴル事情を知ることができる歴史書であり、しかもカルピニ自身がその目で見たことがあるということから、多少カルピニ自身誇張があるとはいえ、やはり同時代的な歴史的資料として評価は高い。日本語訳書題名は「旅行記となっているが、旅行記部分最後第9章だけで、残り8章モンゴル帝国に関する報告書であり、報告書第一意図偵察である。序章記載されているところによれば、「タルタル人が本当のところ何を欲し何を意図しているのかを知ってその結果キリスト信者知らせられるようにと、-そうすればいつの日にかタルタル人が急襲してくるようなことがありましても、キリスト信者の方では準備万端ととのっており」「彼らがキリスト教信者さんざんに打ち破ることはないでありましょう」とされている。カルピニ派遣は、当初外交交渉キリスト教布教調査モンゴル人侵攻調査三つ目的があったが、この三点キプチャク汗国ロシアの国境付近の町で役人任務説明する部分でしか登場しておらず、バトゥグユク汗との面会場面で記載が無い。このため当初外交交渉布教調査目的としていたが、バトゥグユクとの面会結果交渉布教余地見出せ無かったことから、帰国後作成した報告書目的は、モンゴル人キリスト教諸国への侵攻意図確認防衛準備為のモンゴル軍分析重き置かれることになったものと思われる

※この「『モンゴル人の歴史』」の解説は、「プラノ・カルピニ」の解説の一部です。
「『モンゴル人の歴史』」を含む「プラノ・カルピニ」の記事については、「プラノ・カルピニ」の概要を参照ください。

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