『モンゴル人の歴史』
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「プラノ・カルピニ」の記事における「『モンゴル人の歴史』」の解説
正確な題名は、『われらがタルタル人と呼びたるところのモンゴル人の歴史』(Historia Mongalorum quos nos Tartaros appellamus)で、カルピニがローマ教皇庁に提出した報告書。 当時のモンゴル帝国の風習や国民性をはじめ、軍事、政治制度など詳細なモンゴルの事情を知ることができる歴史書であり、しかもカルピニ自身がその目で見たことがあるということから、多少のカルピニ自身の誇張があるとはいえ、やはり同時代的な歴史的資料として評価は高い。日本語訳書の題名は「旅行記」となっているが、旅行記の部分は最後の第9章だけで、残りの8章はモンゴル帝国に関する報告書であり、報告書の第一の意図は偵察である。序章に記載されているところによれば、「タルタル人が本当のところ何を欲し、何を意図しているのかを知って、その結果をキリスト信者に知らせられるようにと、-そうすればいつの日にか、タルタル人が急襲してくるようなことがありましても、キリスト信者の方では準備万端ととのっており」「彼らがキリスト教信者をさんざんに打ち破ることはないでありましょう」とされている。カルピニの派遣は、当初外交交渉・キリスト教布教調査・モンゴル人の侵攻の調査の三つの目的があったが、この三点はキプチャク汗国とロシアの国境付近の町で役人に任務を説明する部分でしか登場しておらず、バトゥやグユク汗との面会の場面では記載が無い。このため、当初は外交交渉や布教調査も目的としていたが、バトゥやグユクとの面会の結果、交渉や布教の余地が見出せ無かったことから、帰国後作成した報告書の目的は、モンゴル人のキリスト教諸国への侵攻の意図の確認と防衛準備の為のモンゴル軍の分析に重きが置かれることになったものと思われる。
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