『トリストラム・シャンディ』とスターンの評価
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「ローレンス・スターン」の記事における「『トリストラム・シャンディ』とスターンの評価」の解説
『トリストラム・シャンディ』は、物語の主人公であるはずのトリストラムがなかなか登場せず、筋書きが脱線に次ぐ脱線になっていると同時に、奇抜なページデザインや記号使用が駆使されていて、「どこが頭で尻尾かわからない、海鼠の化物みたいな作品」と形容される。作中で読者への呼びかけがなされるなど、一種のメタフィクションでもある。 この作品は、大きく2つの特徴が指摘されている。ひとつは、一見脈絡のないでたらめな展開でありながら、小説で取扱われる様々な事件は、実は時系列的に順序立てられていて、再構成が可能となっていること。2つには、これらの「脱線」には、ジョン・ロックが『人間悟性論』(1689年)で初めて指摘した「連想」あるいは「観念連合」の原理が用いられていて、この原理によって、構成的にも内容的にも作品全体が支えられていることである。 ローレンス・スターンの小説は、19世紀にはユーモア文学の一材料としての評価に過ぎなかったが、20世紀に入って、ジェイムズ・ジョイスやマルセル・プルースト、ヴァージニア・ウルフら「意識の流れ」を追求した文学の潮流が起こると、これらの源流的位置付けを占める存在として再評価されるようになった。1968年には、没後200年を記念してイギリスで「スターン200年祭」が開かれた。
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