「F1サーカス」の誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 08:56 UTC 版)
「自動車競技」の記事における「「F1サーカス」の誕生」の解説
上述したように、各国で姿かたちやルールの異なる様々な自動車競技が勃興し、それぞれに熱心なファンがついたが、その中でも頭一つ飛び出たのはF1であった。稀代の天才であるバーニー・エクレストンの辣腕により、「F1サーカス」と形容されるような、文字通り世界各国を飛び回る国際的スポーツイベントに成長した。この背景にはTVの普及により、放映権がビジネスとして成立し始めたことも背景にある。 これにより1990年代までには、自動車に興味のない一般大衆にもアイルトン・セナやミハエル・シューマッハといったF1のスターたちの名前は知れ渡るようになった。同時期のスポーツカーレースやWRCも、各メーカーが競って過激かつ多様なマシンを開発してこちらも人気が高かったが、F1の一般大衆への浸透ぶりには及ばなかった。 2000年代になるとメーカーの撤退が相次いだ両者は勢いを弱め、よりF1一強の様相が濃くなっていった。フォーミュラカーレースの中でも、F1とそれ以外のカテゴリで人気の2極化が進み、F1一強の様相が色濃くなった。 またこの間、ツーリングカーレースもグループAやスーパーツーリング、スーパー2000規定などでメジャーな存在として大きな勢力となったが、規則や運営、コストなどの問題により、いずれも数年程度で消滅と誕生を繰り返すような不安定な状態が現在まで続いている。 一方で北米では90年代以降、長年力を持っていたオープンホイールレースとスポーツカー耐久が組織分裂によって自滅して縮小し、ストックカーレースのNASCARがモータースポーツの頂点に取って代わった。 1990年代以降は電子制御技術が発達し、セミオートマチックトランスミッションやトラクションコントロールなどのハイテクな装備が普及した。
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