「電鉄リーグ構想」との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 14:09 UTC 版)
「京阪グラウンド」の記事における「「電鉄リーグ構想」との関係」の解説
大正時代からプロ野球構想を持っていた阪神急行電鉄社長の小林一三は、1923年に執筆したと推定される「職業野球団打診」という文章の中で 「 グラウンドを持つ鉄道会社、たとえば東京ならば、京成電車、東横電車、関西ならば、阪神の甲子園、阪急の宝塚、京阪の寝屋川、大阪鉄道の何とかいうグラウンド等立派な野球場を持つ是等の鉄道会社が各会社専属のグラウンドにて、毎年春秋二期にリーグ戦を決行する、そうして優勝旗の競争をする、斯くすることによって各電鉄会社は相当の乗客収入と入場料と得るのであるから、野球団の経営費を支出し得て、或は余剰があるかもしれない。 」 と記しており、「電鉄リーグ」ともいえる構想に当球場を使用する形で京阪も含まれていたことがわかる。しかし、この小林の構想は宝塚運動協会を成立させるにとどまり、私鉄各社によるリーグは実現しなかった。 その後、1936年に現在のプロ野球が誕生した時期には、京阪は上記の昭和恐慌の後処理からようやく立ち直ったばかりであった。また、折しも「従来の多角的な営業方針から運輸一本に主力を置く堅実な営業方針に転換した」時期でもあり、プロ野球には進出しなかった。
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