「諸国産物帳」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/17 14:03 UTC 版)
「諸国産物帳」編纂の際、享保20年(1735)3月に正伯は諸藩の江戸留守居役に対し、各藩の領内に生息する動物・植物を調べ連ねて提出するように、との将軍である徳川吉宗からの下命を伝達した。ただしこれは吉宗の命ではなく、正伯が勝手にやったことだとする説がある。各藩は国許に命を伝え、それぞれが苦労していわゆる台帳を作り上げ提出した。しかし正伯はその内容に対し、姿形が不明なモノに対して(本草学・博物学らしく)「絵」をつけるよう要求し、諸藩はさらに苦労して再提出を行った。 こうして元文4年(1739)に完成した「諸国産物帳」であるが、そもそも幕命と偽って作られたものであり、吉宗の手元に渡ったかについての公的な記録は無い。産物帳の原本はその後失われ、後世に伝わっていない。ただ「国控(くにひかえ)」と呼ばれる各藩の手元に残ったいわゆる控え・原本・コピーが残るだけである。また、正伯の日記が残されているが、この日記中に絵が挟み込まれていた。これが産物帳に関するものなのか、某藩からの提出物の模写なのか、逆に正伯からある藩への指示なのか、などの詳細は不明である。 この「本邦初の国内を網羅した動植物図鑑」とも言える書が今日失われていることは残念ではあるが、それでもなお各藩に残された控えにより、当時の日本におけるとある動植物の生息域、地方における呼び名、人との関わりや利用実績などを知ることができる。
※この「「諸国産物帳」」の解説は、「丹羽正伯」の解説の一部です。
「「諸国産物帳」」を含む「丹羽正伯」の記事については、「丹羽正伯」の概要を参照ください。
- 「諸国産物帳」のページへのリンク