「謝罪」表現の問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 05:53 UTC 版)
「日本の戦争謝罪」の記事における「「謝罪」表現の問題」の解説
日本の革新勢力(主に日本の行為を侵略戦争と断じ、日の丸や君が代に批判的な勢力)および中韓北が謝罪発言で問題にするのは、その表現方法である。ただ反省する、遺憾の意を表す旨しか表されていない場合は不充分であると判断する人がいる。しかし「充分な謝罪」の基準はあいまい、かつ感情が入る余地も大きいため、どのような発言に対しても「謝罪不足」と非難することができてしまう。謝罪要求をする側が一般に「公式」と認める「謝罪」とは、 謝罪するところの行為を侵略戦争、戦争犯罪などの罪悪であると認めている。 そうした犯罪、侵略行為に対して、自国に責任があると認めている。 端的に「謝罪」またはそれに準じる表現で謝罪を表明している(「遺憾」「反省」などの表現は謝罪と認められない)。 日本が過去の罪を、謝罪要求側の歴史認識どおり全て認め、未来においてそれ以外の主張を認めず永遠に反省を続けること。 の4つの条件を満たしているものである[要出典]。 1に関しては、日本の首相で先の戦争を「侵略戦争」であると認めたのは1993年記者会見での細川護煕が最初であるとされる。 2に関しては、日中共同声明において「責任を痛感し、深く反省する」と表したのが最初である。 3に関しては、1990年5月の海部首相によるものが最初である。 4については未だに実現されていないため、日本の謝罪を十分であるとは結局のところ認められていない。
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