「王者の統治」と「法律の限界」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 06:07 UTC 版)
「政治家 (対話篇)」の記事における「「王者の統治」と「法律の限界」」の解説
客人は、「最善の理想的状態」といったものは、「知識/技術を具備した王者」のみが生み出せるものであり、「法律」では無理だと指摘する。 ソクラテスがそれはなぜかと問うと、客人は、 人間は、人それぞれ「相違点」がある(何が「最善/最適」かは、人によって違う)。 この世界は、何一つ粛然と静止したりしない(常に「流動/変化」している)。 ものであり、 そうした「人間/世界の複雑性/流動性」に、(「強情で愚鈍な人間」にそっくりな)「単純不変な公式」である「法律」では、うまく対応し切れない。 からだと指摘する。 例えば「法律」は、 「集団を相手とした体育教師の指導」のように、「だいたいの対象者に、だいたいの場合に適合する」ように制定される大雑把なもの。 「医者/体育教師」が旅行などで長期間不在となる際に、面倒を見ている「患者/生徒」のために書いておく「覚え書き」のようなもの(であるがゆえに、状況/条件の変化に伴って、形骸化/陳腐化/害悪化してしまうもの)。 であると。 そして客人は再度、(「医者/船長」は、「医学教科書/航海規則書」を無視しようが、手段が強圧的であろうが、自分の「技術」を用いて「患者/水夫」に利益をもたらしさえすればいいのと同じように)「王者/政治家」は、「法律」を無視しようが、手段が強圧的であろうが、自分の「知識/技術」を用いて「国民」に利益/改善をもたらしさえすればいい、それこそが「国家の正当な管理(統治)」に関する「唯一真正な基準」であって、他の条件を顧みる必要など無いことを強調する。ソクラテスも同意する。
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