「日本は敵か友か」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 16:05 UTC 版)
1934年9月、雑誌『外交論評』に、「敵乎?友乎?——中日關係的檢討」(敵か?友か? ——日中関係の検討)という記事が徐道鄰の署名入りで掲載された。 1935年2月9日、魯迅は蕭軍(中国語版、英語版)と蕭紅に宛てた手紙の中で、この記事を嘲笑して、「彼は現代の富貴層の代弁者である徐樹錚の息子であり、日本が友か敵か疑った結果、『友』になることを決めたのである」と述べている。 この記事の序文には、蔣介石の指示により書かれたということが述べられている。黄仁宇(中国語版、英語版)は「從大歷史的角度讀蔣介石日記」(歴史的な視点から蔣介石の日記を読む)の中で、「この記事が発表された後、少なくとも蔣介石の指示で書かれたものであることは、相手側の日本にもすぐに明らかになり、様々な出版物に翻訳・転載され、和平交渉の空気が一気に開いた」と述べている。蔣介石は1935年3月1日の日記で「(『敵乎?友乎?』で)私の外交政策や日本への態度を明確にすることは、私の政治人生の最重要課題の一つである。すでに国民はすでに理解し、賛成している。1月に入って外交状況が一変し、欧米も影響を受けており、間違ったことはしていないという自信がある。」と書いた。
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