「新世界」の概念
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 20:38 UTC 版)
「アメリゴ・ヴェスプッチ」の記事における「「新世界」の概念」の解説
アメリゴは1503年頃に論文『新世界』を発表する。1499年から1502年にかけての南米探検で彼は南緯50度まで沿岸を下った。南米大陸がアジア最南端(マレー半島、北緯1度)とアフリカ最南端(南緯34度)の緯度をはるかに南へ越えて続くため、それが既知の大陸のどれにも属さない「新大陸」であることに気づいた。ちなみに当時は北米と南米が繋がっていることは判明していないので、彼の『新世界』は南米大陸についてのみ論じている。ヨーロッパの古代からの伝統的世界観、アジア・アフリカ・ヨーロッパからなる三大陸世界観を覆すこの主張は当時最先端の知識人層である人文主義者たちにはセンセーショナルに受け入れられたが、ヨーロッパ全体にすぐ浸透したわけではない。 1507年、南ドイツの地理学者マルティン・ヴァルトゼーミュラーがアメリゴの『新世界』を収録した『世界誌入門』(Cosmographiae Introductio)を出版した。その付録の世界地図にアメリゴのラテン語名アメリクス・ウェスプキウス(Americus Vespucius)の女性形からこの新大陸にアメリカという名前が付いた。これがアメリカ大陸という名を用いた最初の例となった。 1513年のバスコ・ヌーニェス・デ・バルボアの探検で北米と南米の二つの大陸が陸続きで繋がっていること、そして南の海(太平洋。パナマ地峡の南にあたる)が確認された。しかしその後もインディアスという呼称は慣習的に根強く残った。
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