「居飛車穴熊戦法」訴訟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/23 03:22 UTC 版)
「居飛車穴熊」の記事における「「居飛車穴熊戦法」訴訟」の解説
将棋の戦法「居飛車穴熊」の元祖が誰かをめぐり、支部名人戦優勝1回・赤旗名人戦優勝3回の実績を有するアマチュア強豪の大木和博が「考案したのは自分」として、プロ棋士の田中寅彦を相手に300万円の慰謝料の支払いと、元祖を名乗らないよう求めた訴訟。 1999年6月、一審の東京地裁は「二人とも元祖や創始者と呼ばれるにふさわしい」と指摘し、慰謝料支払いの請求を棄却。 2000年3月、二審の東京高裁も一審判決を支持した。 2001年2月22日最高裁第1小法廷は、同件を上告審として受理しないことを決定した(上告棄却)。この棄却決定により、二審の東京高裁判決が確定することとなった。 なお1968年の第27期名人戦(大山4-升田0)第2局で先手番の升田幸三実力制第四代名人が居飛車穴熊のコンセプトを後手番の大山康晴十五世名人の四間飛車相手に実践していた。しかし、実際に居飛車穴熊を現代戦法として再編・体系づけてプロ棋士の間に大流行させて本格的な対振り飛車攻略として定着させたのは田中寅彦の功績である。小倉久史著『下町流三間飛車戦法の一節』によれば、当人のコメントとして「訴えられたから戦った」そうである。また、田中以前には西村一義が居飛車穴熊戦法を何度も実戦で採用しており、田中はこの西村にも少なからず影響を受けている。
※この「「居飛車穴熊戦法」訴訟」の解説は、「居飛車穴熊」の解説の一部です。
「「居飛車穴熊戦法」訴訟」を含む「居飛車穴熊」の記事については、「居飛車穴熊」の概要を参照ください。
- 「居飛車穴熊戦法」訴訟のページへのリンク