「同盟」時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/25 01:57 UTC 版)
「緑の党 (ニュージーランド)」の記事における「「同盟」時代」の解説
1991年、緑の党は民主党 (Democrats) 、自由党 (Liberals) 、マナ・モツハケ党 (Mana Motuhake) 、新労働党 (New Labour Party) などの小党からなる政党グループである「同盟」 (The Alliance) の共同創設メンバーになった。その後1993年と1996年に行われた総選挙には、緑の党は「同盟」としてこれに臨んだ。 1995年にタウポで開かれた年次党大会まで、緑の党には党内の選挙で選ばれた代表はいなかった。党大会においては、フィッツシモンズが無投票で女性共同代表に選出され、ロッド・ドナルドが他2人の候補者との代表選挙に打ち勝ち男性共同代表に選出された。 1996年にニュージーランドの選挙システムが以前の単純小選挙区制から小選挙区比例代表併用制に変更された。これにより、同年行われた総選挙で「同盟」は初めて議席を獲得し、緑の党からは、共同代表の2人とフィリダ・バンクル (Phillida Bunkle) の合計3人が当選した。 1997年、緑の党は「同盟」との政策のすり合わせに齟齬が生じたために「同盟」からの離脱を表明した。多くの緑の党のメンバーは「同盟」を抜けたが、フィリダ・バンクルを含むいくつかのメンバーは緑の党を離党して「同盟」に残ることを選んだ。また、それとは対照的に、新労働党から「同盟」を通じて当選した議員で、新労働党からも「同盟」からも離脱して緑の党に入党した、スー・ブラッドフォード (Sue Bradford) やキース・ロック (Keith Locke) のような者もいた。
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