カルマル同盟時代とは? わかりやすく解説

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カルマル同盟時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 08:22 UTC 版)

デンマークの歴史」の記事における「カルマル同盟時代」の解説

1375年ヴァルデマー4世死去したとき、彼に息子がいなかった。そのため、ヴァルデマーの娘マルグレーテノルウェー王ホーコン6世の后)の息子オーロフが、まだ幼いながらデンマーク国王オーロフ2世として即位した。彼が、父王の死に伴いノルウェー王位も継承したため、デンマークノルウェー同君連合形成された(後のデンマーク=ノルウェー)。マルグレーテ両国摂政つとめて実権握り息子オーロフがわずか17歳急逝するという悲劇はあったものの、新たに擁立したエーリク1396年北欧三国王位についた。翌1397年スウェーデン南境カルマル連合王として戴冠式が行われ、ここに正式にカルマル同盟成立したカルマル同盟スウェーデン受け入れた背景には、当時スウェーデン中央集権化図ったアルブレクト王を、スウェーデン高位聖職者貴族拒否したことがある。すなわち、スウェーデン側は、中央集権化拒み分権的な体制維持するためにカルマル同盟参加したといえる。しかしもう少し広い視点立てば、やはりハンザ同盟対抗するために北欧諸国結集したという見方が有力であろう。このときから北欧諸国ハンザ同盟激しく争うことになる。 15世紀半ば一時的にデンマーク・ノルウェースウェーデン異なる王を選出したことがあった。しかし、スウェーデン王中央集権化を図ると、やはり貴族反発によってその地位追われデンマーク王クリスチャン1世スウェーデン王として選出されている。したがって、仮にデンマーク王スウェーデンにおいて本格的に支配強化しようとすればスウェーデン側が反発するのは当然であった

※この「カルマル同盟時代」の解説は、「デンマークの歴史」の解説の一部です。
「カルマル同盟時代」を含む「デンマークの歴史」の記事については、「デンマークの歴史」の概要を参照ください。

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